こうきのブログ

アイドルについての雑感など。

ナナナビゲーション

時東あみには既に完成されきった18歳の松浦亜弥加護亜依のハイブリッドを突然見せつけられているかのようなサイボーグ感がある。彼女にはそのスタイルの可能性から個人的にはグラビアアイドルとしてのキャリアを中心に置いてほしかったが、奇しくもつんくに見出されたことによって大幅な路線変更が図られる結果になってしまった。これをメディア上で相当の露出量が確保されたことと好意的に見るか、その逆とするかは評価の分かれるところだが、本人が結果的に幸せならばそれでいいじゃないかと思うには思う。しかしデビューコンサートにハロプロキッズを帯同させるというニュースを見るにつけ、必死感をありありと感じるというか、なりふり構わないなあという気がすると同時に注目していた大瀬楓も登場するとなれば一気に参加圧力が高められてしまう。とはいえ、時東コンの会場に赴いて「かえでちゃーーーーーーーーーーん!!!」と吠えるような度胸もない超在宅派な自分は静かにDVDの販売を待つばかりなわけで。
時東ほど露骨でないにしろ、ハロプロにもビジュアルの時代設定というのがあったとしたらやはりそれには違和感を感じる。たまには今っぽいスタイルにしてみてある程度のバラつきをもたせてみてほしいというのはいつも感じるところだが、(よくよく考えたらそう古臭くもないのかもしれないがハロプロのメイクにはなにか他にはない「くせ」が気になってくるのはみんな統一されすぎているからなのか?ハロプロタレントを見過ぎてしまっているせいかよくわからなくなってきた)タレントとしてのキャリアを重ねていくにしたがってその露出量と反比例してビジュアルそのものには見るべきものが減っていくような、鮮度がなくなっていくようなゲンナリとした気分になってしまうことがままある。これは一面では洗練とも言うこともできるかもしれないが、アイドルの肝をビジュアルの進化の過程とした場合には、期間的にいってハロプロのそれは他事務所のタレントに比して相当短いように思う。一旦固まってしまうと変化が少ない/ほとんどないというか。