こうきのブログ

アイドルについての雑感など。

映画芸術

ひとこと感想
名作でした。大画面でみる美少女は最高です。島根の風景とレイハラカミの音楽も癒されます。ヒット漫画が原作で注目の脚本家によるものなので、確固とした世界観に各エピソードがうまいなあと唸らされる練られたもので楽しいです。テンポもよくあっという間に終わってしまいます。
劇場が静寂に包まれたラストシーンは必見です。夏帆の最高傑作だと思います。DVDが楽しみになりました。
ひとつ気になったのは銀座では音が小さかったので5列目で観たのは結果的によかったです。今度から前で観る派になろうと思います。


「私的」メモ
この映画は主演である夏帆のキャリアにとっては重要な作品であることが事前から予想されていた。振り返れば「ケータイ刑事」の銭形零という役はある種男性ファン向けの「イコン」として周りにお膳立てされる部分が多い、つまるところ「アイドルドラマ」であるので役の人間味としての表現は拙さも味、といったエクスキューズに支えられるものだった。
しかし「演技力」といったものが映画を成立させるのにどれだけ必要なのかといった議論はさんざん前世紀にし尽くされたとはいえ、彼女がもう一段階上にステップアップするには観衆をひきつける何かが作品に現れる必要があったことも確かだった。
原作ファンやCSでのメイキング番組、予告トレーラーを観た方なら見所のおおよその見当はつけていただろう。筆者もその一人だった。
ハードルは決して低くはない。監督の山下氏は祭りのシーン、土手のシーンでリテイクを試みたという。

画面左から右に流れるシーンが多いのは修学旅行で島根と東京を接続する心象風景のシーンのためだ。ここで(ここだけ?)夏帆は右から左に歩いてゆくのが印象に残る。
帰路で読んだ映画芸術ではこのシーンやラストシーンなどについての撮影裏話が載っていて興味深かった。

下世話な視点では海水浴に行く前の水着で家の廊下で寝そべるシーンや東京の宿舎に着いて倒れこむように寝る時の太ももなどのサービスシーンも絶妙なバランスであるにはある。

個人的に重要なのは夏帆の体の「厚み」である。これは雑誌「@me.」発売イベントで生で見た時に抱いた印象だったがそれが顕著なのは、坂でキスと握手の価値について話し合っていくシーンである。ここでの衣装含め格好は、作品が始終セクシャルな描写は抑えるものながらも極めて「女性的」な豊かさを隠し切れないいでたちであった。普段より体のラインが見える衣装も封印するほどの女優志向に進む以上はグラビアアイドル的な写真集は期待しないでおくのが吉だろう。もったいないとは思うがそれも一つの戦略ではある。

新宿で貧血に倒れたのち起きたアップのカットは魅力的で、引きが多い全体とのメリハリもつけていた。彼女の特長は状況を咀嚼する表情とでもいうのか、ある種の中空状態(ピュアネスと言ってもいい)が観衆に様々な思いを投影できる余白、真っ白なキャンバスのようななにかを提示するところだ。
このまっさらな感じが役と作品世界(ネコのミラクルも含めて、それと機能的には同等)のコアになり、観衆の興味をかきたてる意味でのエモーションとして最後まで持続されてゆく。

他ではなにげないひととき、たとえばそれは卒業を目前にした3学期のある朝かもしれないが、いつもの仲間たちがいつものように学校に向かう。そのなんでもないかけがえのなさを引きで捉えるショットにはノスタルジーとは違う、こみ上げるものを個人的に感じさせる。

リテイクになった土手でボタンを直す二人のシーン。ここは起承転結の「転」のきわみである。ここには観る前から注目していたが、会話の間合いがそれまでとの明らかな変化を意識させる。それでもカメラは一定以上は寄らず、二人の挙動だけに語らせる。そこでラストシーンの長回しである。時間的にはそれまでに一つの「季節」の終わりを感じながらも、まったりと流れてゆくマンガ的なトーンはそこにはもうない。映っていたのはまぎれもない女優と俳優だった。このラストシーンだけは全体では異質といえば異質だが、それゆえに観る者をマンガでもドラマでもない、「映画」として認識させるに十分な効果を持っていた。

本人のキャラと役の重なる部分の多い、キャスティングの時点で勝利は見えていたということもできるが、それを実現させたのはすべてのスタッフとキャストであるのは言わずもがな。

「天然コケッコー」オリジナル・サウンドトラック BY REI HARAKAMI

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