Kouki's idol note

アイドル・芸能・音楽について、備忘録的に。

ぼくはハロプロの何に惹かれているのだろうか?(1)

一言で言えばそれは個々のキャラクターの多面性を更新できることだ、
ということですがそれを詳しく言えば次のようなことです。

キモい話をひとつしましょう。
オンナノコになりたい。とのたまった知人が昔いました。
その時は何をかいわんやと思いましたが、ハロプロのファン活動をするなかであることに気付きます。それは、ハロプロの番組を見ながら欲情する向きがいる一方で、
彼女たちのなかに紛れてみたい、日常はどうなっているのかを知りたい、というような気持ちになるのを感じる時がままあることに、です。

通常、ほとんどのタレントはみな単独で場所場所での応対を通じてキャラクターを発揮していくなか、ハロプロはそれを鉄壁とも言うべき内輪感に守られあるいは揉まれるなかにおいて行います(消極的にも積極的にも)。

地上波テレビの出演が限られる中であらゆるマイナーメディアも活用し膨大な情報素材を発生させ、それらにアクセスする戯れを可能にしたネットは、殊ハロプロに限っては比類なき功績を果たしたといえるでしょう。今後それ以外の方向性も打ち出す兆しもありますが、
http://www.deview.co.jp/search/index.cgi?cmd=view&id=265&m=d&genres
ひとまず、これまでの状況はそういう感じだったと思います。

ある言動・仕草・コスプレなどに対して脊髄反射のごとく主観的にときめいたり、気分の高揚をもよおすのを一元的な誘引とみるならば、その対極にはハロプロでいうカプヲタのような1対1での、または複数人で偶発するじゃれあいのようなものから生まれる空気感を楽しむ多次元でのそれ(関係性のキャラビジネスモデル)も考えられます。これらをほぼ同じレベルで受容できることはとてもユニークなことです。

特にこのような「関係性のキャラビジネスモデル」の参入退出の反復を透明人間的に行えることで、先に述べたような同化欲望を錯覚させられることがあります。それは(男性諸氏には)あらかじめ経験できない女子学校でおける出来事のような風景(サンクチュアリ=聖域)であり、そこへの没入を疑似体験することに近いでしょうか。
ただこのこと自体、個々のキャラクターが大方が想像する枠内の範囲で演じられるという大前提に立ちつつも、少しずつ更新されつづけ時にはハプニング的な展開を見せる模様を受け止めていくことになります。
こういったある種の聖域が侵されかけ(ハロモニに芸人のゲストが出たりする)た時に過敏に反応する向きが出てきたのも理解できなくもないことです。

また、ライブの空間を共有して一緒に運動し汗だくで気持ちいい気分になる、といった一連の行為はいうまでもなくアレの代行なわけですが、それについてもある程度の充足感は認めつつも、目線が垂直的にぶつかるこうした主客分化されたコミュニケーションよりは個人的には平行的な絡み合い(メンバー間に交わされるフリ中のアドリブ=小ネタの回収)を発見したり・その前後を延長、夢想する方が楽しいという見方に傾きます。スケッチボードを用いてこういったことについての行為をも共有する擬制を楽しむ向きが現れるのは、以上のことから当然とも言え、その際偶像の共有化から疎外された者が生まれ、全体ではどこかまとまりのない感じになったりもします。

話を戻しますと、キャラの更新というのは急速に馴れ合いの場に堕してしまう危険性をいつも孕んでいます。常に鮮度と戦っているわけです。
キャラクターの更新というのも小さなエンターテイメントですから
驚きがなくなればただ萎える一方でアイドルとしては死の方向に知らずに追いやってしまうことになります。
要は新しいメッセージを受け取れなくなれば関心の度合いは逓減し、興味は瞬く間に他の対象に奪い取られるわけです。

ハロモニの企画でいう「モーム素部屋」が人気を集めたのも(演出の程度はあれど)キャラクターの剥き出しであるから非常に楽しいわけです。しかし同時に危険でもある。現にあれ以降やっていない事実がある。
なぜか?
それは彼女らがプロだからです(ここがおニャン子クラブとの違いですが)。
会社の同僚とは「オトナな」関係に落ち着くのが必定なわけで、ある地点に行きつけば発展する余地はないのは誰しもが経験・理解するところですよね。
そこでこのような「関係性のキャラビジネスモデル」には使い減りという事態が起こりうるのです。
それゆけ!ゴロッキーズ」という企画も娘。内大喜利でキャラクター・個々の関係性が剥き出しになる極地のコンテンツでしたが(かなり売上もよかったと聞いています)、それゆえに最高に楽しめたものの、キャラの使い減りという観点で言えばあの時点で打ち切らざるを得なかったことは想像に難くありません。
少なくともぼくはそう勝手に推測しています。

こうしたビジネスモデルは早晩停滞の可能性を持っています。
そこで個々を分断したり、新しいキャラを投入したりしていくわけですが、それも次々にというわけにはいかない。
ではどうするかというと、向かうところは二つしかなく、一つは外に向かい、違う畑で適応して鮮度を確保すること。もうひとつはひたすら内に向かい続け、馴れ合いのお約束を洗練していく道を辿ることです。
後者を選んだとて「オトナな」関係に収斂していく力に抗う破壊と再生が起こらない限りはこれまでの縮小再生産に変わりなく、退屈な反復に終始するだけに終わる気がします。
適当に書いていたら意外なことに思いつきましたが本筋とは関係ないのでこのへんで。
それではまた。